七十一踏み目 枝光八幡宮
| 枝光八幡宮
●所在地 |
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枝が三つで枝光
JRスペースワールド駅前でタクシーに乗り「枝光八幡宮まで、お願いします」といったところ、運転手さんは小首をかしげてしばし考えている風。
「あれ? 社名を間違えたか、読み方を間違えたかな」とあたふたしていると
「諏訪神社のことですかね?」と上半身をねじりながら尋ねられた。
「あのー、枝光八幡宮の別名が諏訪神社かは分からないですけど、昔の枝光村の鎮守さんだったと聞いていますよ。石段が187段あるそうです」などとボソボソしゃべっていると、
「いや、諏訪神社で間違いない。私たちは諏訪町にあるから諏訪神社って言ってるんですよ」といいながらも、アクセルを踏んで発車進行。
八幡宮でもありながら、諏訪大神もお祀りしているんだな、と思いながらも、諏訪大神がどんな神さまかは分からないのだった。
ボクにとっては諏訪大神はさほど身近なご存在ではなく、御柱祭の諏訪大社(長野県)とか龍踊りの諏訪神社(長崎市)などを思い出した。
タクシーがとまると、目の前には鳥居と石段が。鳥居の扁額には「八幡宮」。187段という数字以上に、枝光八幡宮の石段は高く感じられた。
石段の途中で何となく「洞海湾」という言葉が思い浮かんだ。諏訪大神は、洞海湾の航海を見守るために、小高い丘(諏訪山と呼ぶらしい)に鎮座されているのではないだろうか? という考えが、ハァハァと荒くなってきた呼吸の切れ切れに浮かんだりもした。
丘の上の八幡宮は、思いのほか立派だった。前日にwebで見た写真よりも境内は広く、社殿もがっしりしていた。
拝殿の扉が少し開いていて、そこからのぞいてみると、八幡大神という大きな額の右隣に「諏訪大神」の中くらいの額も掲げてある。神官の方が中で作業をされていたので、手が空いたころを見計らって声をかけてみた。御朱印をいただきたいな、と思ったからだ。でも「前もって連絡してくれてたら準備していたのに。ごめんね」だって。
境内には中臣神社、貴船神社もあった。由緒書きにあった高龗命は、貴船神社の祭神で縁結びの神さまだ。
八幡宮は建久五年(1194年)、麻生上野介重業が下向してきた際、宇都宮八幡大神を勧請して宮田山(場所は特定できてません)に社を築いたのが始まりだという。江戸時代に現在地に遷座し、もともとあらせられた諏訪大神、中臣神社、貴船神社も合祀した。
この八幡宮は宇都宮から、ということだが、枝光は八幡神と縁が深い。一連の拙稿にたびたび登場する神功皇后は、熊襲征伐に向かう途中この付近に立ち寄った、という伝説が残っている。
その時皇后は、戦勝を祈願して神事を執り行った。祭壇には三つの宝とともに、この地で切り取った真榊を掲げて、祈願。枝が三本で枝三→枝光という知名になった、という。
榊を切り取ったのは、現在の高炉台公園で、以前訪れたときには、工場群と洞海湾を見渡せる眺めが印象的だった。高炉台公園は八幡製鉄所の記念公園のようなもので、高炉を模したモニュメントが建っている。
八幡信仰の主役の一人である神功皇后に“八幡”製鉄所。ボクが、どうしても枝光八幡宮を訪ねたいと考えたのは、この八幡つながりだったのだ。











[...] 二の鳥居 北九州市は、特に八幡東区は新日鐵の街だ。 七十一踏み目枝光八幡宮で、八幡という地名は新日鐵のためにつけられた、と思えるほど、ということを書いた。 「八幡東区のもとになった各村に八幡宮があったから」というのが地名の由来だが、八幡宮があることは、さほど珍しいことでもない。今や史跡となった「東田第一高炉跡」こそ、現代の八幡宮だ、ということをかなり遠回しに書いている。 [...]
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