七十二踏み目 若宮神社
警固断層と若宮神社
若宮神社は、もともと萬町にあったという。萬町とは今の舞鶴一丁目あたりで、現在の福岡関帝廟があるところが、鎮座地だったそう。
関帝廟にも、由来として若宮神社があったことが記され、龍神が祀られていた。豊玉毘売は龍神の系譜なのだ。ご創建は、大仏建立で有名な聖武天皇の御代というから、相当古い。
当時の萬町は、冷泉ノ津の港町として栄えていて、航海の安全から転じた商売の神さまとなった、水辺の神さまが祀られていたのだ。延宝6年(1678)に市中で大火があったが、この神社と周辺の家が罹災から免れたことで、火難除けにも霊験あらたか、とされた。水だけでなく火にも強くなった。
若宮神社は、萬町からいったん、施薬院のあった薬院町に遷り、正徳三年(1713)に現在地に社殿が建立された。薬院に遷った時期ははっきりしないが、江戸時代初期の福岡城築城の時期ではないか。
このとき、薬院にあった水鏡天満宮が現在地へ。福岡城内にあった警固神社が、小烏神社に合祀を経て現在地へ。というような神社の移動があった。「若宮神社が薬院に遷った」というのは、薬院の水鏡天神だったんじゃないかな、と思う。
江戸時代はじめの神社のシャッフル。築城と城下町の整備で玉突き的に神社が移動しただけ、ではないかもしれない。
福岡市内には、そう福岡西方沖地震で有名になった「警固断層」という活断層が走っている。3つの神社さんは活断層を押さえるために、現在地(若宮神社は薬院に)遷座されたのだという説もあると、ボクは聞いたことがある。
断層というのは、風水的に言えば龍脈となるらしい。天変地異は龍脈の乱れがもとになるので、神さまの力でしっかりと、封じてしまえという意図を持ったシャッフルだった、かもしれない。

水鏡天満宮は福岡市中央区で最も古い建造物だが、地震でも被害が全く出なかった。麻生福岡県知事は余震が続いているころ、警固神社を参拝して防災を祈願した。一応、そんな事実があったことも記しておく。
玄海島の方では地滑りが起こり、長期間仮家住まいで苦労されただろう。被害のあった建物も多かったが、全体的に被害はそれほどのもんでもなかった。神助があった、とボクは思う。
福岡の都市設計に風水思想が応用されたのかどうか。江戸は風水思想でもって都市設計されたというのは定説っぽくなっているから、当時のトレンドとして筑前にも導入された可能性はあった。そう考えた方が、面白い。










[...] 拝殿に向かい、高祖神社の開運と感謝を告げ(ボクは最近このような参拝をさせていただいている)て、中をのぞき込むと、彦火々出見尊を主座に、玉依姫命、息長足比女命が左右にお祭りされている様子が分かる。 彦火々出見尊は山幸彦、玉依姫命はその妻。詳しくは(いやダラダラとか)、ココやココ、ココで書いているので省略するが、山幸彦の神話は海洋系の人々と山(農耕)系の人々の融和の物語だ。 [...]
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