七十三踏み目 綱敷天満宮
| 綱敷天満宮
●所在地 |
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東の太宰府
桜の花びらがチラホラするのも美しいが、梅もすばらしい。
そう思ったのは、綱敷天満宮を訪れたとき。ここは、ご神域に紅梅白梅約一千本があり、満開時にはさわやかな梅の香りが漂って、ツンと鼻孔を刺激する。目が覚める。
地元では「浜の宮」と親しまれている綱敷天満宮は、響灘に面した海辺のお社。現在は海岸が整備されて、波打ち際から参道が遠ざかってしまっているが、浜辺特有のまぶしい陽光がさしこんできて、ニックネーム通りのたたずまいを見せている。海はケガレを清めるというから、浄化の作用もあるかもしれない。
参道はスーッとのびていて、参道には露店が並んでいる。梅の時期は「しいだ梅祭り」が開催されていて、梅ヶ餅に、梅の香りをトッピングしてみた。梅の名所でもあるところからか「東の太宰府」という別名もある。
社殿はなかなか豪壮で、しめ縄がぶっとい。鈴は5個もぶら下がっていて、懸魚や妻飾りに鳳凰や龍が踊っている。紺地の垂幕に、五角形と梅を組み合わせた「梅鉢」のような紋様と三階菱が黄金で染められていた。
三階菱は小笠原家の家紋なので、小倉藩主だった小笠原家の尊崇が篤かったのだろうか。
調べてみたら、寛永十四年(1634)に小笠原家と豊前の木下家(豊臣秀吉の親戚)によって現在の社殿が造営されたという。歴史ある建物だったんだ。そういえば、参道の売店でひょうたんが売られていた。千成びょうたんは、豊臣秀吉の馬印だ。
ついでに、梅鉢紋もwebで調べてみたが、こちらは加賀藩主前田家の家紋だった。こちらはゆかりはない、と思う。天満宮といえば梅紋と固定観念があったけれど、バリエーションがたくさんあるのかもしれない。
古今、本邦では花といえば桜であるが、花といえば梅という時期もあった。万葉集では梅を詠んだ歌も多いというし、このころから平安時代までは「花といえば梅」だったようだ。
当時進んだ憧れの国であった支那では梅の花がとても尊ばれていて、都の貴族など上流階級ほど「梅の花」を好んだという。在来種の桜に対して、梅の花は“舶来品”。梅の香りは文明の香りだった。
桜好みの代表者が西行だとすると、梅好きの代表者は管公ということになる。両者とも好きな花について、たくさんの歌を詠んだ。好きなものを歌にできるというのは、カッコいい。

天満宮や天神社もとても多く鎮座ますます神さまで、これまでも触れてきた。神さまとしての管公も興味深いが、人間菅原道真公は気になる存在だ。ボクにとっては、革命家・反骨の政治家といった風に見える。数百年朝廷を牛耳った(もしかしたらそれ以上)藤原摂関家と真っ向勝負をした(せざるを得ない運命に巻き込まれた)政治家は、それほど多くない。
管公だけに、シビれるのである。
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