なぜ神社はこんなにたくさんあるんだろう?
式年遷宮と神社
以前、とある人間国宝の陶芸家の方を取材する機会をいただいた。ざっくばらんな口調で、作陶に対する思いを縷々と語っていただいたが、氏のお話の中で特に心に残ったのが「伊勢神宮の式年遷宮について」だった。
焼き物技術の伝統と伝承という文脈の話の中で、「式年遷宮が20年ごとというのは理にかなっている」とこうおっしゃった。焼き物に限らず、建築・織物・塗り物など手業による工芸の技術は意外とデリケートなもので、油断すると途絶えたり、技術のコアな部分が抜け落ちたりするもんだという。
20年ごとの遷宮は伝承する時間として、とくに平均寿命の短い昔は適切であり、お伊勢さんに限らず、神社の祭祀というのは技術を保全する機能も持っていたんではないか? というお話にボクには聞こえた。
神社は、芸能だけではなく工芸のノウハウもメモリーしていたのだ。
一方で昨年、ボクは農業を子どもたちに体験させて、子どもたちの成長にどんな効果があらわれるか? というお仕事に関わらせてもらい、体験の現場に立ち会わさせてもらった。
機械化、化学化が進んでいる農業だけれど、尾根一つ向こうでは、田植えや収穫の時期が違ったり、肥料や農薬を散布する時期が変わっていたり、良く成長する品種が違ったり。
生産者の方たちがかわす会話を聞いていると、エリアによってビミョーな違いが今もあるらしいことが分かった。
地質や地形、日照、水源が変われば栽培ノウハウも違うのは当然で、これも昔はビミョーな違いではなくとても大きな違いだったはずだ。
これは漁業でも、もしかしたら商業・運輸業にもあてはまることだろう。
大小の違いはあれど“集落”というのは、こういった生きていく上でのノウハウを共有できる範囲として、発生したのではないかと。
これも今さらかもしれないけれど、改めて実感したのだから仕方ない。
神社は当然、農耕や漁業といった人々の生業とも大きく関わっている。お祭りや神事は、工芸技術だけではなく「暮らしのデータバンク」的な意味もあったのではないかと思う。
だとしたら、集落ごとに神社があるのは必然的なことだといえる。神社は心だけのよりどころだけではなく、もっと庶民の暮らしに近い存在だったのではないだろうか。
神社がこんなに多いのは、風土にあった暮らしが列島中にあった証なんだと思う。










福岡市南区の高宮に住んでます。
このHPでもレポートされてますが「高宮八幡宮」の近くです。
小さな神社ですが、神社に覆いかぶさるようにたつ樹木を見上げると、歴史があることを感じます。ちょっとだけ此処がどこかということを忘れて、清々しい気持ちになれます。
心静かに気分展開したくなった週末のご近所スポットです。
神社の数がコンビニより多いってすごいですね!
リニューアルして、HPがとても見やすくなりましたね。これからも、ためになるレポート楽しみにしています!
高宮在住ですさま。
コメントありがとうございます。
反応があって、ホッとしています。
ボクはへんな話、神社に行ると、何か見つけなきゃって、気ぜわしくなります。
2回目以降はリラックスできるんですけど。
ためになる…。なるべくそうなるように、がんばりまする。
今後とも、ご愛顧のほどよろしくお願いします。
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