七十八踏み目 住吉神社
西公園の「ドン」と力石


港の住吉さんは、筑前一宮で全国の住吉神社の根本宮であらせられる博多区の住吉神社とくらべると、いかにもこぢんまりとしている。
社殿は、祠といったかわいらしさ。社叢というほどではないが、それでも境内には背の高い樹木があって、こんもりとした緑が神域を守っているかのようだ。
境内の中には地蔵堂もあり、赤いおべべにお供えの花も瑞々しく、手厚く祀られているんだろうなぁ。
社殿にお詣りしたときに、向かって左側に丸い石が 台座に乗せられて何だか意味ありげに安置されていることに気づく。
この石は「力石」と呼ばれているもので、福岡市の文化財である。力石とは、力自慢を競うときに用いられる石で、この石は三十六貫目というから135kgもある。
福岡市の文化財ホームページによると、
本力石は、銘文によれば加奈川(神奈川)権次郎、稲毛平次郎らの力持ちが持ち上げたものである。加奈川(神奈川)権次郎(文政11~大正4年)は川向村(神奈川県横浜市都筑区川向町)出身、櫛田神社(福岡市博多区上川端町)その他広島県福山市・尾道市など瀬戸内海沿岸にその名を留める力持である。また、稲毛平次郎(明治14年没)は、南加瀬村(神奈川県川崎市幸区南加瀬)出身の力持であり、櫛田神社の力石にもその名が見られる。
彼ら力持ちは一座を組んで、全国各地を興行して廻ったものと考えられる。
海辺では力持ちというのは、とても名誉なことだったのである。
日本の神社では「石占(いしうら)」といって、石を持ち上げることで吉凶を占う神事があった。ことを成就させるには、きっちり持ち上げる力持ちは、とても尊敬されていた。まさに力士。相撲は神事でもあるが、石占が源流の一つだろう。
鳥居の右側には「午砲場跡」という石碑もあった。石碑によると明治31年(1898)から昭和6年(1931)まで、福岡では正午を知らせるのに大砲を鳴らしていた。最初は須崎にあったが、後に西公園の山腹に移動。市民には「西公園のドン」と呼ばれていたという。
その威力たるや、障子が破れたり棚から物がおちるほど、だったそうで、ちょっとした地震なみ。
大砲の音でお昼を知らせるということで、昼休み直前の授業が終わって、学食までダッシュした高校時代を思い出したけれど、何だか落ち着かないランチタイムの幕開けだ。
それにしても、市が大砲(空砲だとしても)を撃つ時代なんてあったんだなぁ、と妙な感慨を感じる。
港町はよそのの国や街を結ぶ玄関口でありながら、市街地にいくら近くとも、港町には、近寄りがたいというか、異郷というか独特のフンイキがある。かつては港の住吉さんの夏越祭では、遊船が出るなど、お祭りも盛んだったという。
神社さんは港町の“世間”を守る一方で、よその“世間”をつなぐ窓口でもあったんだろうなぁ、と思った。
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