Home » お百度ットコム, 佐賀県

八十一踏み目 陶山神社

12 4 月 2009 No Comment
陶山神社

●所在地 佐賀県西松浦郡有田町大樽2-5-1
●ご祭神 有田焼陶祖神(鍋島直茂・李参平)・八幡神
●ご利益 有田町の焼き物

touzan01

焼き物の里の神さま

hizen03 有田焼の目利きに自信はないけども、有田町を訪れると街のたたずまいには何かを感じずにはいられない。
 レンガ造りの煙突に、白壁土蔵の家並。焼き物を満載した軽トラックが道路を往来する。「有田内山重要伝統的建造物群保存地区」

 有田焼は、発祥当初から焼き物の製造過程を分業化し大量生産・安定生産することに成功した。軽トラックに積まれた焼き物を見ると、素焼きの状態のものや、絵付けが終わったものなど、分業の過程も想像できる。

 有田は江戸時代から現在まで、高度に“作陶”に集積された街であり、雰囲気は、鉄の街・北九州は八幡に近いように感じる。肥前では、陶磁器を作る窯を中心とした街を“山”というが、八幡では官営の八幡製鉄所が“山”だった。

 焼き物の里有田の鎮守が、有田焼陶祖神・陶山神社である。現在では有田焼陶祖とされる李参平、当時の佐賀藩主・鍋島直茂なども祀られているが、もともとは八幡宮だった。製鉄所との関係からも、八幡神は、炎そのものなのかもしれない。

 さて、祭神の陶祖・李参平である。
 一般的にも有田焼の創始者として紹介されているが、その名の通り朝鮮半島の人である。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は別名「焼き物戦争」と呼ばれるほど、朝鮮半島から陶芸の技術者を日本へ連れ帰ってきた。
 鍋島氏が連れ帰った集団の中で、リーダー的な役割を果たしたのが、李参平だった、といわれる。

 肥前藩の正式記録に残るのは、金ヶ江三兵衛という藩政府に正式に認められた姓名だけで、彼が本当に李参平であったかどうかは実は分からない。金ヶ江三兵衛が、肥前で磁器を作るために奔走したのはほぼ史実であり、現在も直系の子孫が窯を開いている。

 李参平という名前が登場するのは明治時代以降で、さまざまな記録から類推して「李参平」なる名前が有田焼のシンボルとして命名された。李参平は最初から、有田焼の神話の神さまとして生み出されたものなのかもしれない。
 李参平にまつわる検証はとても長くなるので各自調査でお願いしたいが、現14代金ヶ江三兵衛氏に取材して書いたボクのレポートもご紹介させていただきまする。

 陶山神社は万治元(1658) 年、有田皿山代官の命により、伊万里市大里二里町の郷社である八幡宮からご分霊し、当初は「有田皿山宗廟八幡宮(ありたさらやまそうびょうはちまんぐう)」と称した。
 八幡神は新羅の神だ、という説もある。炎を介して生産される磁器の里、朝鮮人職人が開いた里。有田皿山代官が、わざわざ八幡神をご分霊したのは、意図があってのことだと思う。

pages>> 1 2

ご意見ご感想を、お願いします。

下記のフォームからコメントをいただくか、 トラックバック を皆さまのサイトからお願いします。またコメントは RSSからも記入できます。

スパムとかいたずらはご遠慮いただきますようお願いします。.

このタグならコメントに使えます
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

このサイトではGravatarを使えます。Gravatarを取得したいならばこちらをクリックください→Gravatar.