八十七踏み目 宗忠神社
| 宗忠神社(神楽岡)
●所在地 |
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神楽岡の宗忠神社
方向音痴のボクだが、京都で迷ったという記憶がない。
いわゆる碁盤の目で、方角がつかみやすいのと、道に迷っていても途中に気になるモノが、ベルトコンベアで運ばれてくるようにどんどん見つかるので、迷っていることを忘れてしまうからだ。
この冬京都に出かけた時のこと。改装中の銀閣寺(人が少ない上に、銀閣寺の構造が見られてトクした)を見て、吉田神社と宗忠神社へ向かう計画で、地図を見ながら最短距離を歩いていたつもりが、いつの間にか山道の散策路の落ち葉を踏んでいた。
洛中の景色も透けない林の中、ちょっとした登山気分。汗も出てきて気分爽快。
休憩所の案内板で、この山が両社鎮座する吉田山であることが判明。月並みな感想だが、神さまのはからいだと思った。
神が遊ぶ丘を、遊行させてもらったのだ。ありがたやありがたや。
ボクが神楽岡を訪ねようと思ったのは、その前日、京都タワーの本屋さんで偶然「太陽の神人 黒住宗忠」(山田雅晴:たま出版)という本を見つけてから。一気に読了して、黒住宗忠をググってこのお社の存在を知ったから。
世の中ホント便利です。この時代に生まれて良かったなぁ。
神さまのご開運をお祈り申し上げます
宗忠神社は、文久二(1862)年に創建された新しい神社だ。この年は生麦事件が起こり、京都も騒然する幕末のころ。黒住宗忠の門人が吉田神社のご神域の一部を譲り受け、建立した。
宗忠は嘉永三(1850)年に没して、安永三(1856)年に朝廷から「宗忠大明神」の神号を授かる。また慶応元(1865)年には、朝廷の勅願所に指定され、孝明天皇や公家の尊崇を受ける。
こういう経歴(没後だが)を見ると、それだけでもすごいなぁ。生きている時にどれだけすごい人だったのか。
ボクがスゲーと思ったのは、宗忠のこんな言葉に尽きる。
「神さまに自分の開運を祈るべきではない。まず、神さまのご開運をお祈り申し上げるべきである」
この言葉、どう解釈するかはひとそれぞれ。ボクは解釈以前に、スカッと気分が晴れた。スケールがでかい、と思った。
黒住宗忠がこのような心境にいたるには、さまざまなエピソードがある。
備前岡山御野郡中野村の「今村宮」に仕える禰宜の家の三男として生を受け、藩から表彰されるほどの親孝行で知られる。
成人し、立て続けに父母を喪うと、心痛のあまりに自分も肺結核のような病気に倒れてしまう。「最早これまで」と覚悟した宗忠は、最期の願いとして冬至の太陽を身いっぱいに浴びたいと、外に出た。
この時に天照太神と同魂同体となる神秘体験(天命直受)を経て、自分の使命を直覚するとともに健康を回復した。
その後、没するまでの30有余年の間、自らの考えを広める活動を行うようになる。
手をかざして病気を治した、死んだ人を生き返らせた、嵐をおさえた、徒歩で1日かかる五社参籠を早朝の1時間ですませたなどなど、数々の奇跡が伝えられている。
ボクはこういった伝説を基本的には本当だと考える。弘法大師も全国で数々の伝説を残しているが、本当はそれ以上にすごいことをやったんじゃないか、とさえ思っている。宗忠は天照太神=太陽と一体化したが、空海は金星を飲み込んだ、といわれる。
「オレ、こんだけすごいから、神さまの開運を祈ってるんだ」という感じではない。天照太神と同魂同体になって、誰もがすべて神さまと一心同体であることを悟ったというか。みんな神の子で、神さまの開運を祈ることは、自分も家族の開運も祈っているということだと、本気で訴えている。ま、これはボクの解釈ですが。
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[...] 黒住神社の項でも触れたが、京都市左京区の吉田山(神楽岡)散策は、楽しかった。単に迷っただけだが、単純に京都観光しただけでは感じ取れなかった、ことの空気を知ることができたように思う。 [...]
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