九十一踏み目 水鏡天満宮
| 水鏡天満宮
●所在地 福岡市中央区天神1ー15ー4 |
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天神の由来となったお社
アクロス福岡の向かいにある水鏡天満宮は、天神地区の由来となったお社だ。有名ですね、この話。
天満宮ということで、ご祭神は管公であらせられるわけだが「水鏡」の由来はこんな話。
管公が政敵の讒言を受けて、大宰府の副長官として筑紫の国へ下向しなければならなくなった。
大宰府の副長官はなかなかのご立派な身分であったが、管公は右大臣まで上り詰めていたので実質的な左遷である。追われるようにして都を発った管公は、我が運命の過酷さと旅の疲れで疲弊し切って、那の津辺りにようやくたどり着いた。
河口から川を遡上しているさなか、川面に映る我が姿のあまりのやつれぶりに、管公は涙をこぼして悲嘆したという。
太宰府に着いた管公は悲しみにくれたまま、着任後2年ほどで病没してしまう…。
管公の生涯に同情した土地の人々が、この故事から創建したのが「水鏡天満宮」だ。
もともとは水鏡さんは、管公が水面をのぞき込んだ場所のすぐそばにあった。現在の今泉付近で、その川は現在の薬院新川だといわれている。水鏡さんは「容見(すがたみ)天満宮」とも呼ばれていて、現在も薬院新川には「容見橋」が架かっている。
今泉の天満宮は、黒田長政の福岡城と城下町整備に伴い、慶長17(1612)年に現在地へ遷座された。
福岡城の鬼門に当たる北東にあるから…、というような伝説をまといながら、今も天神のど真ん中に鎮座されている。
ご神域を歩く
鳥居と楼門をくぐり、ご神域に入って振り返り、楼門の方を眺めると都心の神社だなぁ、と思う。四方に壁が迫り、天窓のように空が見えて、しかもその天窓は高い。
それでも圧迫感がさほどないのは、ご神域が1ブロックほどの広さを確保しているからだろう。
一等地にこれほどの土地が“遊んでいるからもったいない”のではなく、神さまが遊んでいるからたっとい、のである。
手水舎で身を浄めて、境内を見渡すと。向かって左手には社務所。牛の神像をおさわりしながら拝殿へ向かう。
拝殿の前にも山門がある。
この拝殿、補修を繰り返してはいるが、大部分は慶長年間に遷宮されたときのままの建物が残っている。宮司さんに以前教えていただいたのだが、補修のやり方うんぬんで文化財には指定されないのだそうだ。
天神の由来となった神社の社殿は、天神でもっとも古い建物であり、天神の基点と呼ぶにふさわしい。
文化財というか見所的には、鳥居の扁額があの広田弘毅が書いたもの。広田弘毅は福岡県出身で初の総理大臣になった方で、文官で唯一A級戦犯として処刑されてしまった方。忘れ去られてしまうには、非常に惜しい方ですが、その名を聞いてもピンとこない人の方が圧倒的に多いのが現状。
「あぁ、そういえばあそこに神社があったね」というような、奥ゆかしくまします水鏡天満宮ではあるが、同じたたずまいで、2012年に遷座400周年を迎える。
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