一〇〇踏み目 桜井神社
桜井大神宮へ
境内には、摂社末社として八幡宮、春日神社、八神殿、須賀神社、金毘羅宮、猿田彦神社がある。それぞれに関しては各自調査で。すべてをお詣りしたら、何でも願いがかなってしまうぞ。
楼門正面を背にすると、桜井大神宮の参道が伸びている。県民の森に指定されている社叢を抜けると、朽ちた木造鳥居が見える。これは、伊勢神宮の式年遷宮に際して、移建された鳥居であるそうな。
お伊勢さんの鳥居があるということはそう、この大神宮には天照太神がお祀りされている。伊勢の内宮外宮を一宇に合祀したので、別名両大神宮。創建は寛永2(1625)年。以前はこちらも20年ごとに遷宮されていたそうだが、慶応2(1866)年の第13回遷宮で止まり、今のお社は140年余を超えた建物である。
大神宮は桜井神社本殿よりも新しいが、その造りゆえか本殿以上に古さびたように見える。古代的というか根源的というか。
天照太神をお祀りしているからだろう、写真を見ると社殿の回りには光が乱反射して、まぶしそうな絵になってしまっていた。
江戸時代の岩戸開き
桜井神社の祭神は与止妃(よどひめ)大明神だ。ご由緒によると、慶長15(1610)年、嵐のような雨が降り雷光一閃! 岩戸神窟の口が開いてご神霊が顕現された。
当時の岩松城主浦新左衛門の妻が神がかりとなり、さまざまな奇蹟がおこった。噂が噂を呼んで、とうとう筑前藩主の黒田忠之の耳に入り、2回にわたって家臣を派遣。その際にも御験があり、黒田公の尊崇はますます篤くなった。
そこで、忠之は社殿造営を発願し、3年の月日をかけた寛永9(1632)年に極彩色の豪華絢爛な社殿が完成した。だけではなく、大宮司の浦毎成を京都に派遣して吉田神道を学ばせて、藩内の神職者500人の惣司(つまりトップ)とした。
糸島半島は今でも、福岡市からのドライブコースだ。つまり郊外、いやはっきり言えば田舎だ。江戸時代ともなるともっと遠く感じられたはずで、そんな僻地に事実上の福岡藩の鎮守にしたのだ。
一体どんな奇瑞があったのだろう。その中身が気になる。
ついでに、桜井大神宮の造営も忠之公の発願で、この地に天照太神を勧請するよう御神託があった。二代藩主はどれだけ信心深いんだって話で。黒田騒動のイザコザ回避のために、神さまにすがったのが真相かもしれない。当初は与止妃宮と呼ばれたが、明治2年に桜井神社に改称した。
桜井神社は比較的新しい神社さんだが、岩戸=古墳は6世紀ごろというから、古墳時代の終わりごろに造営された墳墓だという。古墳は信仰の対象だったから、古くからこの地で信仰があったんだと思う。












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