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一〇二踏み目 阿蘇神社

3 6月 2009 36 Comments

南の木ヤマモガシ

 拝殿を見学していると、扉の向こうから小学生が顔をのぞかし「中を初めて見た。あがっていい?」。
 高木さんが了承すると、靴を脱いでご登殿。初めてだからコーフンして、駆け回ったり「あれ、何? あれ、何?」。最近は、週休2日で土曜日はお休み。「ヒマだから来た」という片江小の児童たちはちょくちょく遊びにくるそうだ。
 境内ではボール遊びしている子たちもいて、なかなかにぎやかだ。

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aso08 拝殿を出ようっ、となり、子どもたちに「最後にお参りしてごらん」とボクが話しかけると「どこまで行っていいと?」と神妙な顔をする。何となく神聖な場所だというのは、子どもながらに分かるものらしい。
 「階段の下までいっていいよ」というと、4人並んで長いこと手を合わせていた。
 「何お願いしたと?」と聞くと「言ったら願い事がかなわんもん」といって教えてくれなかった。

 新しい参道は、御遷宮の時にあらたにもうけられたもので、これまでの表参道は社殿の正面にある。この社殿は盗難の方に向いているらしいが、その向こうには阿蘇山と菊池氏の本拠地である菊池市がある。

 拝殿の向かって左側に立つ樹はヤマモガシの木で、福岡市植物園の専門家によると「福岡では現存するヤマモガシは見たことがない」というほど、貴重なもの。ヤマモガシは南九州でよく見るもので、自生したのではなく誰かが植えたものだろう。弥五郎尊といいヤマモガシといい、南方面との結びつきが強い神社である。

神木のクスノキ

aso09 境内のほかの見どころをそうざらえ。
 拝殿の真正面にあるクスノキは、福岡西方沖地震で現在のように傾いた。傾いたところを石の台座が支えているようで、神さまに支えられたカタチ。転ばぬように御祈願してもいいかも。

 境内社や摂社末社も多い。社日さまは、何も刻まれていない自然石。南片江3丁目の山上にあったが、明治9(1876)年の「各所に散在する小社・庚申さまなどは、すべて氏神の境内に合祀すべし」という明治政府のおバカな政令により合祀。
 庚申さま、猿田彦大神も同じ政令で合祀された。
 拝殿前の階段のたもとに、河童(かどう)さまも鎮座する。

 見どころ、ではないけれど、賽銭箱は金属製。以前、隙間からお札だけが抜かれてしまったとかで、指や棒などを差し込めない構造になっている。うーん、世知辛い。
 また社殿や社務所にはセキュリティシステムが張り巡らせていて、侵入できないようになっている。
 鈴ガラガラは約150年前のもので、全体的に新しいモノと古いモノが混在しているのが阿蘇神社の現在だ。

 本殿横には日露戦争の石碑がある。明治から昭和の初めまで、阿蘇神社の氏子から出征した人は戦死者が出なかった、ということで、福岡市内各地ばかりではなく、山口県からも祈願に訪れたという。
 先の大戦では、最終的には戦没者が出てしまったが、戦争という厳しい現実に対して一縷の希望を灯したの阿蘇神社の存在は、とても大きかったのだろう。
 


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