一〇四踏み目 行者様
| 行者様
●所在地 山口県上関町祝島 |
![]() |
祝島の頂上
宇佐と国東半島のミニシリーズが始まった。が、いきなり瀬戸内海の祝島へ飛ぶ。
ポンと飛ぶのも理由があって、豊前・豊後は瀬戸内海を通じて、近畿や瀬戸内沿岸の中国四国とかなり密接に結びついていた。
祝島は、豊の国と畿内を結ぶ最短コース上にあり、寄港地として、はたまた航海の安全を祈る祭祀が行われた。仲哀天皇が祭祀を司る祝(ほふり)という役人を派遣したことで、祝の住む島=祝島となった。
だからこんなにめでたい名前になったわけである。
瀬戸内を通ってさまざまな文物や人が行き交い、周囲12キロの島には面白い伝説が多く残っている。
島で一番高い山にある「行者様」もその一つだろう。
練塀つらなる祝島の集落を抜け、ビワ畑を抜けて45分ほど歩く。そこに行者様がいらっしゃる。参拝した日は、山口県光市の子どもたちと一緒の登山だったが、子どもの足だと30分か。
鳥居をくぐると、小さなお堂がある。
役行者の航跡
行者様は、厳密にいえば神社ではない。島には、宮戸八幡宮が島の鎮守として鎮座まします。いつか参拝したい。
お堂の中に祀られているのは、役小角さま。神道と仏教を習合した修験道の開祖といわれる。
飛鳥時代から奈良時代に実在した人物とされるが、伝えられる活躍はものすごい。
弟子のタレコミ(人々を惑わしている)で、伊豆大島に流された役小角は、昼は伊豆大島で過ごし、夜は富士山で修行する。鬼神をあやつって薪や水をとらせるなどという噂が流れたりもした。
神と仏を融和せよと、神仏習合を唱えた宗教者の側面も強く、死後1100周年の寛政11(1799)には「神変大菩薩」をおくられた。
鬼神を使役して、さまざまな奇蹟を演じるあたりは平安時代の陰陽師も連想させる。
俗世を離れて山にこもって霊的な修行三昧のライフスタイルを提唱したことで修験道や、神も仏も尊ぶ日本的な信心のシンボルとなったのだろう。役行者とも呼ばれる。
役小角が英彦山の山を開きにいく前に祝島に立ち寄って、祝島の豊漁豊作、島の安全を祈願した。その場所が現在の行者様、というわけである。
役小角は大和の国の出身で、九州に行く途中に立ち寄った(飛んだか海を歩いて)ということは、祝島の立ち位置を象徴する伝説だ。
pages>> 1 2













ご意見ご感想を、お願いします。