一踏み目 高宮八幡宮
| 高宮八幡宮
●所在地 |
高宮という地名について考えながら歩く
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地名は歴史のなんとか、という。高宮という地名は「高いところにお宮さんがある場所」か「大きなお宮さんがあるあそこ」ということなんだろうな、とボクは想像した。まぁそのままである。
西鉄天神大牟田線の高宮駅を降りて、北へ3分ほど歩くと、石造りの大きな鳥居が見える。おそらく、これが「一の鳥居」なのだろう。神額には「八幡宮」。
ボクは帽子を取って軽く一礼してくぐった。これより「神域」なのだ。
が、行けども行けども、住宅が見えるばかり。「この道で合っとうとかいな」と不安になるほどだが、昔は広大な敷地の立派な神社だったんだろう。途中「奉寄進」と彫り込まれた石柱が2本建っていた。何かの門なのだろうか。車がくぐる。人もくぐる。
神域の痕跡だ。
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10分ほど歩いて、汗がにじんだころ高宮八幡宮に到着した。
こぢんまりとした鎮守の森。
そういった印象だ。
灯籠の並ぶ石段を歩くと「不倒の灯籠」という文字が。
福岡西方沖地震に際し、夢のお告げがありました。急勾配であっても倒壊を防ぐことの出来た縁起の良い灯籠です。
福岡西方沖地震のとき、水鏡天満宮も警固神社もほとんど被害がなかったと、それぞれの宮司さんが言っておられたのを思い出した。
石段を上りながら、高宮の地名地名問題が頭をよぎる。社殿はたしかに小高い丘の上にはあるけれど「高い」というほどではない。昔は、高い建物もなく、遠くから見えていたんだろうけど、果たして地名に残るほどの「高さ」だろうか。
振り返ると、TNCの鉄塔が建つ山に見下ろされている。
あの山(名前が分からなかったが、後に鴻巣山と判明)がもともとご神体であったり、奥宮があったりしたんじゃないだろうか?
などと妄想しながら歩いていると、よく転ぶのでご用心ご用心。
あとで「高宮八幡宮ホームページ」のご由緒を読むと、もともとあの鉄塔のあたりの一番高いところに、社殿があったという。そうか、「高宮」だ。
妄想もまるっきり外れていたわけではないと分かり、一人ほくそ笑む。
四百年ぶりの遷宮と千三百年の話
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現在、ご遷宮のまっただ中で、高宮八幡宮はちょっと雑然としている。
白木の社殿は、下ろし立てて折皺のあるシャツみたいで、清々しいもののなじんでいない感じ。
本殿の奥は造成中。もとはもっともっとこんもりとした「鎮守の森」だったらしい。
前の社殿は黒田藩二代目の黒田忠之公が寄進した400年ものだったそうだ。一度その「しっくりきた」光景を見てみたかったが、これからまた400年かけて、落ち着いた鎮守の風景に進化していくのだろう。
由緒書きには、天智天皇(645年の大化の改新の中心人物中大兄皇子)が外敵討伐の祈願をされ、ご創建された、とある。
天智天皇のころは、唐・新羅連合と対立する厳しい国際情勢の中にあり、白村江の戦いで敗れたこともあり、いつ攻め込まれるか!? というのっぴきならない状態だった。
天智天皇は大慌てで、都を滋賀県の大津に遷し、最前線となるであろう筑紫には水城と大野城をこしらえた。
そんな時に、このお宮が創建されたのだという。
八幡宮というのは、大分の宇佐神宮を中心に全国に信仰が広がった八幡神を祀るお宮で、全国に約1万5000社あるという。
八幡信仰は、古事記や日本書紀に登場しない神様で、8世紀ごろから信仰され始めたという説もある。祭神は応神天皇、八幡大神(神功皇后、比売神)など。
鎮護国家、家運隆昌といったご利益があると信じられ、東区の筥崎宮などでは元寇の敵国調伏の祈願が行われるなど、海外からねじ込まれたりするときに、祈願される神様らしい。
高宮八幡宮は、由緒通りだとすると7世紀には「八幡宮」ではなかったが、発願からすると「八幡宮」的な神社であったことになる。
高宮八幡宮のすぐそばに、高宮カトリック教会もあった。近くにはお寺もある。この辺りは信心深い人を集めるチカラがあるのだろう。やっぱり。
途中、教会と八幡宮へ至る看板がを見つけた。大きさでは教会が勝っているが、矢印の方向を見よ。高宮八幡宮は天空を指していた。
たぶん、いたずらだろうけど。
※この記事を作成したのは2007年の5月ごろと。高宮八幡宮は立派に遷宮されて、キレイになっております。高宮八幡宮HP










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