三踏み目 清川大黒天
| 清川大黒天
●所在地 |
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気になる気になる
最近、清川界隈をくるくる回って、事務所に出勤するのが楽しい。清川は今、というか那珂川リバーサイドというくくりなのかもしれないけれど、マンションがわんさか建っている。
その合間に、昔ながらの家屋と、昔ながらのおいさん、おばさんが残っていて、楽しい。ボクが愛しているハニーコーヒーもある。
カンコンキンコンと、小気味よいリズムを立てる博多鍛冶もある。
その清川の路地に「清川大黒天」がある。
一度迷い込んだ形で出会ったものの、もう一回行こうとしたら、どこにあるのか分からない。そんな神様の隠れ家だ。![]()
オフィスビルの裏側にひっそりとある小さな祠だが、赤いのぼりが飾られている。「大願成就 清川大黒天」。清川二丁目4区町内会の皆さんが、お世話されているようだ。手前の木もしわぶりが、それなりに趣もある。
周りは、また趣き深い家と趣き深い人々が住んでいるエリアで、「ここは一体なんだろう」とジロジロ見ていると、「あの人は何だろう」とジロジロ見られる。ネグリジェ姿のおばちゃんなんかが。いや、あなたの方が…。でも、ボクは圧力に負けて、そそくさと逃げるのである。
新柳橋から清川へ
この大黒さまのことを調べようとして、清川のことをちょっと調べたこともある。
清川の歴史は、明治時代にさかのぼる。
九州帝国大学を福岡市に誘致するために、箱崎の土地を福岡は用意した。ところが、今の千鳥橋の当たりに遊廓街がある。これじゃ学業に差し支えがあるということで、遊廓街を移動させようと言うことに。
そこが今の清川のあたり。遊廓といえば柳の木。ついた町名が新柳町。博多の台所「柳橋連合市場」も多分、この柳が由来なのだろう。
那珂川に面した料亭「三光園」も元はと言えばそうだったんだろうなぁ。「一楽」というホテルが清川にあるけれど、この一楽も遊廓だったそうだ。いちらく。それっぽい。
大東亜戦争の空襲で明治期の建物は焼けてしまったそうだが、1958年に売春防止法が施行されるまでは、いわゆる赤線の街として、ウヒャウヒャな男たちがたむろしていたそうだ。
その後は、そういう歴史がなかったかのように、町名変更。再開発…。
開発とは、「歴史をないことに」してしまうことなんだと、ボクは理解している。炭鉱の町といい、そうやって足下がグラグラして、地盤沈下している街がホンットに多い。かなしい。
ミステリースポット
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清川には、不思議なロータリーがある。
道路の真ん中にあるロータリーは、全国でもここ一カ所しかないとか。
昼間は、黄色と黒のしましまが目立つのだが、夜は分かりづらい。事故もけっこうあっているらしく、はっきりいって「無くても」いい。
そこで、こんなウワサが立った。
ロータリーはもともと、遊廓街時代の井戸の名残で、その井戸に、逃げ出そうとした遊女や使い物にならなくなった遊女を投げ込んだ。
だから、ロータリーをなくそうとすると祟りがある。今も夜には…。
都市伝説のたぐいだとは思うけれど、そんな伝説を生むほどこのエリアには、何やら奇妙な空気があふれていることだろう。今度フィールドワークしてみたい。
そういうところも含めて、大願成就の清川大黒天にもご祈願だ。
大黒天とは、インドのバラモンの神様でシヴァ神のことで、中国で食物にまつわる神様として信仰されていたところを、最澄さんが平安時代に輸入した。比叡山延暦寺の守護仏とした。
清川大黒天もなかなかの福相である。円満な感じだ。











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