一二一踏み目 八坂神社(大里)
| 八坂神社(大里)
●所在地 北九州市門司区大里本町 |
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九州の起点
門司区といえば門司港レトロ、と相場が決まったりもしている。
小倉駅から見て、門司港駅から2つ手前の門司駅。大里あたりはお百度ットコム的には、おもしろスポットが目白押しだった。
平家とともに都落ちした安徳天皇が行宮(仮の御所)を営んだことが由来となって、内裏→大里となった。北朝の武将今川了俊が著した書物に「だいり」という地名が出てくるので、南北朝時代にはそう呼ばれていた、という。
内裏という文字をあてる場合もあったというが、「不敬かな」という自主規制で「大里」に統一された。
江戸時代、大里は参勤交代する九州の大名が関門海峡を渡る船着き場となったため、港町・宿場町としてたいそう栄えた。
小倉城下・常葉橋が九州の諸街道のスタート地点として知られているが、実質的にはこの大里が九州のターミナルポートということ。
幕末の慶応2(1866)年、第二次長州戦争の際に、大里宿は火災になり大半が焼失した。が、大里本町の辺りを歩けば、さまざまな石碑や「大里村庄屋石原宗祐屋敷」のような町家が残っていて、そこはかとなく宿場町の残響は感じられる。
八坂神社は街道沿いにおわしまし、境内には「大里宿場跡」の案内看板がある。
境の神々
八坂神社は小倉城内にもあるが、そこから勧請されたものなのだろう。
由緒では享保8(1723)年、京都郡神田浦より住吉神社を合祀し、小倉藩主小笠原忠雄が社殿を建立した、とある。
鳥居の扁額には「祇園社」とある。祭神は素戔男尊と、その奥方の櫛名田比売命。全国各地で執り行われる「祇園祭」は疫病除けのお祭り。八坂神社の神さまは大里宿のような水際で、悪いものの検疫をずっと行っていたのだ。
素戔男尊は、八岐大蛇(やまたのおろち)の生け贄だった櫛名田比売を救った後、ヒメにラブレターを贈ったことも神話に残っているが、夫婦そろってお祀りされているあたり、恋愛成就にも力を発揮していただけるような気もする。
神殿はこぢんまりだが、ご神域は広い。鳥居や石灯籠には「文化」や「天保」といった江戸時代中期から終期の年号が刻まれたものもある。その昔はたいそう立派な神殿がおわしたのではないだろうか。
またご神域の一隅には、大里宿にあった猿田彦神などの塞の神が集められている。往時ほど、人も文物もやって来なくなったから、お役御免ということ? 寄り添ってはいるものの、ちょっぴり寂しそうに見えたのは、ボクだけだろうか。
いや、ホントにありがとうございます。
そう心の中でつぶやいて、ボクは八坂神社を後にした。











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