一四四踏み目 天満宮
| 天満宮
●所在地 福岡市博多区月隈 |
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ANAと天満宮
空港のそばを、愛車「赤目号」と走っていると、猿田彦大神さまを発見した。
走りよってみると、天満宮と刻まれた鳥居があったので迷いなくご参拝。黄色と黒の工事現場の柵が鳥居にかかっているのがちょっと気になったが、参道はスーッと伸びていて気持ちいい。
向かって右に参道は折れていて、そこんところから勾配がちょっとキツくなる。
過呼吸気味な、ジェットエンジンの音が聞こえてきたので振り向くと、ANAのジェット機が滑走路をゆるゆると進んでいた。地べたがちょっと揺れたような気がした。
坂道を上ったところに、天満宮のご神殿がおわした。ポツンと、という表現が正しいかどうか分からないけれど、そんな感じでたたずむ木造のご神殿。空気を切り裂くような音が響いて、さっきの飛行機が離陸した。
すぐに、静寂が戻ってきたのはやはりご神域であるからだろうか。



お宮には情報がほとんどなかった。参拝客もほかにいない。
ただ、人が訪れている痕跡はあった。お賽銭箱がないためか、拝殿に小銭が置いてあった。
拝殿には1枚、モノクロ写真の額が掲げてあった。年号も何も記載されていないが、今ここにおわすお宮とまったく同じお宮の前に、氏子が大集合、といった感じ。
棟札には「昭和参拾四年五月二十」という日付が書かれてあったが、あるいは「その日」の様子なのかもしれない。
ボクが写した写真では、くっきりと表情は分からないけれど、ニコニコとした雰囲気は伝わってくるではないか。
一の鳥居には明治三十七年、猿田彦大神の石碑には嘉永七年という年号が刻まれているところから、それなりの歴史を持つお宮であることは間違いなし。
嘉永七年というと、ペリーが浦賀沖に現れた翌年で、日米和親条約が結ばれた年だ。
世情不安で、ハイパーインフレが起こる前ということで、当時の人々はお神さまを祀ることが流行したのかもしれないな、と思う。
空港のそばなので、その当時、この場所にお宮があったかどうかは確信を持てないが、ここに空港ができるなんてだれも想像できなかっただろう。
大日本帝国陸軍によって整備された席田飛行場は、完成後米軍に接収されてしまった。米空軍と民間飛行場が同居する不思議な時代もあった福岡空港ということだが、ペリーの話を結びつけたのは、かなり無理矢理だったかもしれない。
拝殿の軒先に座って、しばしボーッとしてみた。
ときおり、エンジン音で我に帰ったけれど、静かになると「自分」っていう感覚がなくなってしまうほど、このお宮のたたずまいを堪能できた。静かになると消えてしまうものって、実在のものなのだろうか?
ちょっと哲学的になれるのは、学問のお神さまが、おわすからなんだろうなぁ。













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