二十一踏み目 比叡山延暦寺東塔
比叡山つながりで 先日京都を訪れた際、比叡山延暦寺東塔を訪れていたことを思い出した。というのはウソである。比叡山延暦寺では、きちんと御朱印帳も買ってきたし、根本中堂などをお参りし、かなりの衝撃を受けてきた。 |
雨がしたたる中、木立をの中を歩いていると、ズズンと体が重くなり、ゼエゼエと息が上がった。根本中堂で、お坊さんの解説を聞いていると突然、ピィーンという音が右の鼓膜から左の鼓膜に走り、たぶんほんの数秒だったと思うが、何も音が聞こえなくなった。自分が立っている方向も分からず、ストンと膝が落ちた。
比叡山といえば、戦国時代好きだったボクは織田信長の焼き討ちを即座に思い出す。
詳しくは省くが、山全体を取り囲み、火をつけ、ほぼ全員を殺害したなんて聞くと、ゾッとする。
一方で、織田信長のこの断固とした行動を、「政策遂行に果断だった」「これがあったために、日本の宗教紛争が無くなった」という作家・井沢元彦氏の評価を見ると、なるほどなぁ、とも思う。
「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」。院政をしいて強大な権力をほしいままにした白河上皇が嘆いた比叡山延暦寺。「南都北嶺」と恐れられるほどの僧兵力を持ち、各種商売の胴元でもあり、民衆からの尊崇も集める。寺社不可侵の「ほぼ独立国家」としてパワーを持っていたことは間違いなく、織田信長のそれは宗教弾圧というより、あらゆる敵対者への「見せしめ」の意味が大きかったんだろう。
比叡山延暦寺は室町六代将軍足利義教とも対立し、僧侶たちは(本堂的なもの)根本中堂に立て籠り、あげくに焼身自殺した。その時に、寺院も焼失した。
その後、将軍足利義稙と対立した管領細川政元が、将軍に呼応しようとした比叡山を攻めた。このとき、根本中堂は焼失している。
結構いろいろな勢力ともめているのが延暦寺。争乱の果てに、この静寂感。すべてを飲み込んだ静けさは、濃密で圧迫感すらあるのだ。
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