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四十一踏み目 五十川八幡神社

14 1月 2008 3 Comments
五十川八幡神社

●所在地
福岡市南区五十川2-16-15
●祭神
 応神天皇・神功皇后・玉依姫命
●ご利益
 五穀豊穣、厄よけ開運、大願成就

 

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五十川って以外に難読地名?

五十川とは「ごじっかわ」と読む。ボクが反逆の幼稚園児だったころから小学3年生一学期1週間目まで住んでいたのが、この五十川という集落だった。
 この辺りの田んぼや畑、川原で、くんずほぐれつ遊んだ記憶があるが、ボクの住んでいたのは筑紫通りを挟んで空港よりのところで、博多区であった(今は町名が変わっていて、住んでいたところは諸岡1丁目のようだ)。幼いボクにとって、筑紫通りは越すに越せない強烈な「境」だった。この神社を発見したのは、散歩の途中偶然の賜物であって、もとよりこのようなお社があったことはまったく記憶にない。

八幡社である。九州には八幡さんがとても多い。ご祭神は、応神天皇、神功皇后に加えて、玉依姫命の三柱。八幡社では、玉依姫ではなく比売大神(ひめのおおかみ)を祀ることの方が多い。が、玉依姫はワダツミ神の娘とされ、比売大神は宗像三神のことともいわれ、いずれにせよ海にまつわる女神だということ。

 八幡神は、古事記や日本書紀に登場しない神様で、欽明天皇の治世中6世紀に、宇佐の御許山に顕現なされた。その時に「我は応神天皇である」と言われたという。
 なぜ八幡神が応神天皇と同一視されるようになったのか? 分からないことだらけである。分からないことだらけなのに、八幡宮は全国に数多く所在し、神様の系統別でいうと一番多いという話。
 古くから神仏習合し、宇佐神宮は伊勢神宮についで、皇室第二の宗廟ともいわれて繁栄した。
 農耕の神として、また鎌倉時代より後は武神として尊崇されたが、もともと何の神様であったかも定かではない。柳田國男は鍛冶の神だった、という説を唱えている。
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 分からないことは棚上げして、五十川八幡神社である。御由緒によると、いつごろ創建になったかよく分からない。ただ、五十川村の産土神として古くから祀られ、格式も高かったらしい。
 もともとのご神宝は古代の剣だったというが、そのお宝も1800年代初頭の火災によって焼失したという。火災後は、福岡城で建て替えられた旧能楽堂をもらいうけ拝殿にしたが、それも昭和12年に現在の拝殿に再建された。


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3 Comments »

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