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四十二踏み目 赤間神宮(下関市)

18 1 月 2008 No Comment
赤間神宮

●所在地
山口県下関市阿弥陀寺町4-1
●祭神
 安徳天皇
●ご利益
 強いていえば国家鎮護か?

 

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幕末と源平の残照

赤間神宮は始めて訪れたとき、すごく違和感を感じた。何というか日本の神社じゃないような、異郷感というか。中国の寺院とも違う。大学生のころだ。司馬遼太郎先生の「世に棲む日々」を読んで、吉田松陰と高杉晋作の師弟にしびれまくったボクは、居ても立ってもいられず、後輩とともに車を走らせ、夜明けの赤間神宮を訪れた。白々と明るくなっていくうちに、闇の中から朱色がにじんできた。水天門だった。

赤間神宮のご祭神は安徳天皇。壇ノ浦の合戦に敗れ、女御に抱かれつつ海峡に泡と消えた。八歳の儚い生涯であったという。平家物語のクライマックスである。
 本来なら源平合戦の舞台として有名なんだろうけど、ボクの興味は初代宮司の白石正一郎さんであった。この話は置いといて。

 安徳天皇を祭神として祀る。人(天皇陛下は現人神かもしれないが)を神様として祀る例は多い。例えば応神天皇の八幡宮、管公は天満宮、豊臣秀吉や徳川家康だって神様になった。akama-02.jpg

 応神天皇の場合は、応神天皇を自称する神様が宇佐に顕現されたことで神様になったというが、安徳天皇の場合はちっと事情が違う。

 ボクは、これは学界でもまったくそうだといわれてないようだし、こんなことを書くと右翼のみなさんが怒る可能性も高いけれど、安徳天皇が怨霊となったか、そうなる前に御霊を鎮めようと神様になっていただいたんじゃないかと思っている。
 御由緒を見ると建久二年(1191年)には朝廷が、御陵上に御影堂(阿弥陀寺?)を建てている。壇ノ浦の合戦が1185年で、源氏側のゴタゴタが片付いた後、すぐに建てているから、かなり迅速だ。明治維新後に廃仏毀釈で赤間宮と名前が変わった。
 ご神徳にすがるための場ではなく、安徳天皇や平家一門を沈めるための場であったんだろうと、想像するのだが…。

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