六十七踏み目 菊池霊社
神様になるのはこっちの事情
菊池武時さんは、実際にはそれほどの戦果を挙げたわけではないが、全国に先駆けての討幕運動が「忠なり」と評価された。
忠臣というのは、勝ち目があろうがなかろうがとにかく、朝敵に立ち向かう人である。どれだけ戦上手だろうが、現実的な調整をウマくやったとかなどは、それほど関係ないようである。
こういった“忠臣感”が後にいろいろな悲劇を生み出してしまったんだろうけど…。
武時公は、中央政府の言いなりなるしかなかった地方御家人の縛りを打ち破ったのは快挙だと思う。同時代の武士たちに共感と恐怖を感じさせる見事な戦いっぷりを見せたからこそ、ずっと語り継がれてきたのだ。
とはいえ、こういったエピソードが神様となるほどにずっと庶民に浸透していたかというと疑問である。
なんてったって博多を焼いた男である。自分とこの街を焼かれてもなお「忠臣だ!」と地元民が顕彰するわけがない。博多で太閤秀吉さんが人気なのは、やっぱり博多を復興したからで。それは地元民としてはイタシカタない。
という事情なのに、武時公が顕彰されるにいたった理由とは…。簡単にいえば、明治政府が「忠臣」として認めちゃったから。
政府がこういう人を祀り上げて、こういう生き方を貴いと考えてもらったら、我々としたら治めやすい。そういう対象が菊池武時や菊池武光、楠木正成といった南北朝時代に南朝に付き、散華していった武将も多く含まれていた。
菊池武時公を主祭神とする菊池神社は、菊池一族の居城があった隈府に明治3年に創建される。福岡市中央区六本松の菊池神社は石碑を見ると、明治三十五年に菊池武時公に贈位(従一位か?)された時の記念の石碑も建っていている。
訪れた当初は気づかなかったが、扁額を見ると菊池「神」社ではなく「霊」社となっていた。単に顕彰する神社ではなく、霊廟であるということのようだ。
鳥居をくぐって本殿? ご神体? はなんと菊池武時公の墓である。墓標には号の「寂阿」と刻まれている。ボクはここのほかにそんな形の神社は見たことがない。珍しいと思うがいかが?
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首塚といえば日本最大の祟り神平将門の首塚を思い出すが、同じ首塚といえどこちらは怨霊ではない。だって、天皇サイドで戦ったんだから。武時公が無念の中で亡くなっていたとしても、その矛先が朝敵に向かっていれば、それは怨霊ではなく“忠魂”になっちゃうようである。
そんな思惑とは別に、武時公はすぐれた武将であったし、信念の人であったとボクは感じている。そういう先達の心意気は素直に感じたいし、あやかりたいところではある。
おそらく、博多を燃やした怖い人の霊を慰めようと、地元の人は首塚・胴塚を築いて祀ってきたんだと思う。将門公の鎮魂に近いイメージで。
明治時代から大東亜戦争が終わるまで、菊池武時公や武光公は「時の人」となった。戦後打って変わってまた「過去の人」になってしまった。今や、いろいろなおどろおどろが浄化されて、子どもたちが安心して遊べる公共スペースになった。いや、武時公がほほ笑みつつ、守っておられると考えて感謝したほうがいいのかもしれない。
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